カイシャには、上司と部下の組み合わせパターンが3つある。
1.できる上司とできる部下
2.できない上司とできる部下
3.できない上司とできない部下
できる上司とできない部下という組み合わせは、一時的に存在しても永続的なものではない。
できる上司の元にはできる部下しか残らないのである。
パターンを紐解いても問題は解決しない。
何故、上司が部下を育てられないかという問題である。
そもそも上司は部下を育てたいのか?
人は基本的に保守的な生き物である。
保守的というのは、獲得したものを離したくないということでもある。
獲得したものとは、知識でもあり、地位でもある。
もうお分かりだろう。
獲得した業務知識を離したくない、ということは業務のやり方を変えたくないということに繋がる。
地位を離したくないということは、後輩である部下に地位などは渡したくない、などである。
つまり、上司は口では部下を育てなければ、育てたいと言うかも知れない。
しかし、彼/彼女の取る行動は違う。
部下のすることには一々口を挟み、書類には赤を入れ、ミスを叱る。
手柄に到っては、個人プレーを認めず、チームでやったことを強調する。
上司は上司としてのピラミッドを登らねばならず、そのためには手柄を立てなくてはならないからである。
彼/彼女達も、長い長いピラミッドの頂上への道を歩んで行くのである。
それは、今の仕組みの中でこそ可能な道である。
業務ルールが変わっては困るのである。
知識と地位はその企業風土においてこそ有効であり、他の企業では意味を為さないのである。
地位とは相対的なものである。
ある企業においてのポジショニングであって、決して企業をまたがって得られるものではないのである。
エンジニアはそこを理解していない。
業務改革を実施できない理由は、こんな単純なことなのである。
ただし、日本のカイシャも合従連合を繰り返し始めており、知識も地位もすぐに紙屑に成り得るようになってきた。
仕事の本質は働くのではなく「働かせる」のである。
仕事ができる、できないによる選別は如実に進行しているのが実態である。
この外の力に対抗する力は、既に中間管理職には無くなっている。
できる上司にできない部下というパターンは、すぐにも捨てられるパターンであり、できる上司とできる部下のパターンしか生き残らないのである。
相対的な測り方しかできなかった時代に比べ、今は絶対値で測られる時代になってきたということである。
そうした時代に部下を育てる上司が存在できるであろうか。
かつて私は、最初のカイシャで初めて付いた上司に、
「1年で俺に追いつき、3年で追い越せ」
などと言われたが、それは何を意味していたのだろうか。
中々できた上司であったが、どういうことをすれば上司のようになれるかは分からなかった。
問題は、「俺」を基準にした上司の意識であり、知識であった。
あんたみたいに成りたくはないよ、それだけなんである。
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