2011年1月21日金曜日

人を育てるとは@会社の現実 Thu Jan 20 11:28:05 2011

小難しい話しが続きますが、そこは我慢、我慢(^_^)/

誰が誰をどう育てるのか

意味展開を考えてみよう。

誰は→上司
誰を→部下
どう育てる→到達すべき姿とそこに到るプロセス
到達すべき姿→企業内上司
そこに到るプロセス→段階的な役割変遷
企業内上司→あるカイシャ内に特化した管理職
管理職→部下を持ち、指示を出す人
段階的な役割変遷→あるカイシャにおける階段的な変化
社員→主任→係長→課長補佐→課長→副部長→部長
☆☆☆☆☆☆☆☆→次長→本部長→取締役→常務取締役→専務取締役
☆☆☆☆☆☆☆☆→取締役副社長→代表取締役社長→代表取締役会長

まず、あなた(部下と仮定)を「育てよう」としている上司はどこの段階にいるのだろうか。
そもそも上司とはどこからだと言うのだろう。
昇格試験を実施していると仮定すると、ほぼ課長もしくは課長補佐の辺りからが上司となるのではないだろうか。

育てるとは二つの意味を持っているのは明らかである。

一つ目は、「(今居るカイシャの)仕事ができるようになる」ことである。
つまり、外注であれ、代理店であれ、販社であれ、使えるようになることである。
これが仕事の本質につながる話である。

二つ目は、「(今居るカイシャの)上司になるようにする」ことである。
間違ってはならないのが、このときのあなたと上司の相対的なポジションである。
常にあなたの上司のポジションが上であって、追い越されるような知識、成果は出させないのが上司の「育てること」になっているということである。

エンジニアはこれを誤解しているために、実作業のスキルを磨こうとする。
カイシャの中には、人を使う仕事と使う指示を出す仕事しかないのである。
実作業をする人間は必要としていない。

ソフトハウスは仕事を誤解しているために、ある時点から売上が伸びない構造になっている。
良い仕事をするということと、仕事が続くということは全く違うことである。
実作業のスキルが高い人間を集めていくのは良いが、ギャランティの問題が数年で発生する仕組みである。
そこで、回避する仕組みとして、スキルが高い人間をマネジャとしてある程度の数の部下を配下にする。一山幾ら、の戦術である。
ただこれはもう、顧客には通用せず、一本釣りされるようになってきたのが最近である。
売れ残りは確保しておく意味を失い、辞めてもらうことになる。

部下を育てることと話がずれてきたようにも思えるが、「育てる」の意味を問うて行くと仕事と不可分になっていくのである。

仕事ができるようになること = 育てること

という図式を描いてみたが、「仕事」の解釈にずれがある。
おいらのようなエンジニアもどきに取っては、前述した「実作業のスキルが高い」人間になることが、「仕事ができるようになること」であった。
ところがそれを求めているカイシャはない。
中小企業とか、ソフトハウスにはごまんとあるのにも関わらず、大企業においてはない。
大企業になる条件が、「人を使う仕事と使う指示を出す仕事」に長けていること、なのであるからだ。

ここに到って「仕事」の本質が見えてこないだろうか。
無限連鎖商法、ネズミ講、MLM(マルチレベルマーケティング)である。
大企業の本質はそこにある。

良い商品を作って消費者に提供していく、という素敵な話が成功と共にどんどんネズミ講に近くなっていくのである。

製造→1次卸→2次卸→3次卸→小売→消費者

この構造が出来上がっていたのが、また容認されていたのが、最近までであった。
カイシャの存在は、製造と1次卸、小売に存在していたが、最近は面白いようにこの構造が破壊されている。

構造の産物、上司が部下を育てる、幻想

カイシャが構造の存在で居たならば問題は無かったかも知れない。
しかし、カイシャとそれを取り巻く環境が変化していくと、内部も変化せざるを得ない。
部下なしの課長が沢山存在している状況の中で、誰が誰を育てようとしているかも不明確になってきている。
上司は既に「育てる」相手としての部下を失っているし、部下は部下で最初から「人を使う仕事」でスキルを試されているのが、カイシャの現実である。

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