2012年7月5日木曜日

システム開発における下請け構造

東電の原発労働者は7次請けまであるという報道があったが、厚労省は何をしているのか。 
IT業界のマッピングをすると、大企業のシステム開発・運用を行う大手の企業とそこに人貸しをする派遣企業、ゲーム業界、様々なシステム開発を請け負う請負会社などがあり、そこにパッケージソフト開発・販売の企業が絡む。
問題は、100万円で出した仕事が3次請けくらいになると、50万くらいになり、品質も担保出来なくなるということがある。 
 
 IT業界の下請け構造に本格的にメスが入れられたのは、2004年くらいである。 元々税務署がその所得を把握出来ないとして、建設業を主に管理監督していったが、実はIT業界のフリーランスの方が多くの所得隠しをしていたと気付き、大きく手を入れたのである。 残念なことにきっかけは大手SIerのコンプライアンス違反である。いわゆる「飛ばし」での税金逃れ、もしくは循環取引である。 これをてこに、厚労省が多重構造を否定した。 

それこそ、今の東電におけるような多重構造が3次程度まで軽減され、作業メンバの実名把握が行われている。もちろん、セキュリティの問題に対しても手を打っているのである。 顧客データの漏洩は、システム外からのハッキングではなかなか起こらないが、内部の作業員のファイル持ち出しが横行していたのである。 結果、我々のプロジェクトルームには監視カメラが設置され、何を見ているか、誰がプロジェクトルームにいつまでいたかまで把握されることとなる。 

 そもそも、多くのシステム開発費用を払うのは大企業・役所であり、中小企業にはリースでの支払がある程度で、大きな売上は期待出来ないため大手IT企業、つまりエスアイヤーと呼ばれる企業は大企業と癒着していった経緯がある。
世紀が変わる頃、大手金融機関のシステム子会社に軒並み大手SIerが資本を入れ、子会社化していった経緯もある。 年間数百億の売上と配当を期待してのことである。
 
 80年代は牧歌的なもので、派遣企業が大手IT企業に付いていた程度で、フリーランスはまだ居ない時代であり、人月単価が数十万であり、スキルではなく頭数での対応だった。 パソコンで開発が出来るようになってきたのは90年代に入ってからであり、フリーランスの発生もその辺りからである。
 その後、ソフトハウスは受託請負と派遣とに2分されることになる。 派遣は大きく儲けを望めないがある程度の安定が望める。 受託請負の企業は、パッケージベンダーと請負ソフト・運用の会社に別れていく。 90年代後半に汎用機ビジネスが失速すると同時にネットが立ち上がっていく。
 日本IBMがこのころ、リストラを行ったら出来る若手から退職し、彼らがネットベンチャーを立ち上げていったのを想い出す。 今ではそれほど酷くない多重構造に落ち着いているのがIT業界である。 大企業のコンプライアンス対応も一段落し、元請けと呼ばれる大企業に支払口座を開いてもらえるところ、2次請けの中堅企業、その下の3次請け及びフリーランスである。
 やはり、支払サイトが35日以内になったのが大きい。 

元請けになるには何らかのコネクションが必要であるが、道がないわけでもない。 下請けといわれるが、大きく儲けようとするとそれなりの道を付けなければいけないだけである。 つくづく、東電の行為に対して何もしない厚労省は訳が分からない。

電子化に乗り遅れる地方・・・若者

デジタルデバイドの進行は止められないのか 最近ますます、この国の人々の情報処理能力に疑いを持つようになってきている。 情報に接する能力にもだ。    今年も何回か地方都市とか、観光地に行くが、予約をwebで行いたいと思っても、対応出来ないホテルがある。 これは通販サイトでもあるのだが、楽天辺りで一度買ったお店から封書で「今後はFAXで注文して下さい」などとDMが来る。 私の関わった通販サイトでも地方から仕入れる際には、電話とFAXが一般的であり、メール、EDIは論外である。     一方、都会の若者も携帯、スマホとにらめっこである。 おじさん、おばさんもである。 我が国のインターネット人口は何千万という。 PCは未だに使えていない。    弱い者ほど情報武装しなければ生き残れないのに、この有様である。    コンビニの全店オンライン化は2006年頃には上位3社が達成している。 地域別の音楽配信、レジ裏のディスプレイ広告配信、可能である。 つまり、全国津々浦々にインターネットへの口は用意されているのに、PCで仕事が出来ないというのが実態だ。個人の意識は携帯でのwebアクセスである。 小規模事業所での経理・給与計算ソフトの導入は進んでいるとはいえ、それをキャッシュフロー経営に活かしているとも思えない。どんぶり勘定も健在だ。    しかし、最大の問題はニュースであろう。 生活がどうなるのか、この法案は我々の生活にどう関わってくるのか、ある出来事がどのような影響を持っているのか、大量に出回っていることに情報弱者は気付かない。 旧来のメディアは限られた紙面と時間があるために解説は貧弱である。 記事そのものも中学生レベルを想定して発信されている。    「君たち国民、普通の人々は事件の触りだけ聞いていれば好いんですよ」    旧来のメディアがそう発信していることにすら情報弱者は気付かない。 実に良くできている。 弱者は弱者のままに。    確かにwebの中の記事は正しいものも、間違っているものもある。 ただ、量をこなす、つまり経験値が上がれば処理能力は高まる。 これがガセネタなのか、それすらも瞬時に指摘される時代だ。 当事者が報じる、目撃者が画像を上げる、当たり前である。 しかし、携帯でwebアクセスしているレベルでは気付きもしない。    一方的に発信される旧来のメディアだけではない。 情報弱者を産み出し続ける仕組みこそ凄い。 デジタルデバイドの凄さは、使いこなせない者達もメールが使えます(携帯ですが)、webもアクセスしています(携帯ですが)ということから、使いこなせていないことに気付かせないことにある。    大学に入学するとメールアドレスが貰え、大学のポータルサイトから履修登録も出来るというが、大学生になるのは毎年20万人超、80%以上の同世代が置いてきぼりである。 大学生だとてPCでレポートくらいは書くが、統計解析もしない理系学生もいる。 文系だって経済学は方程式の山であるが、どれだけ統計解析に馴染んでいるだろうか。    この差別を助長し続ける仕組みが凄い。 この国の政府は情報操作をいつまでも続けられると思っているところが凄い。