2008年10月19日日曜日

経済格差は女性を売春婦に貶めるか

岸田秀(学者)によれば、男は総て性的不能者であり、その裏返しとして女性差別に走る。
岸田秀:公式サイト
http://kishidashu.com/rsdiscuss/yuigenron/topic-10/?recent=45

喫緊の問題として、経済的格差が目に見えるように出てきたこの国において女児はどう扱われていくのかが問題なのである。
経済の格差は教育に出る。

教育は、言ってしまえば、どのくらい高度な情報処理装置を己の中に作り上げるか、それだけのことなのだが、公立の小中高にスキルのある教師が居るとは言えない。
地方に至っては惨憺たる状況である。大分県のように教員が縁故で採用されるのは普通であるからだ。
官僚もしかり、である。ただ、あそこには何らかの不正があるだろう。そうでないと代々官僚だ、なんて連中は出てこない。
世襲の業種に携わっていると人間が腐っていく。

経済格差に戻ると、顕在化したのは給料が上がらなくなったこの10年である。
自分の給料が少しでも上がっていれば、気付かなかったし、目にも付かなかったはずである。
些細なことに敏感なのが、日本人の特性らしい。

既得権益を持つ人間達が、自分の懐が寂しい人間にも見えてきたのである。相対的に。
既得権益を持つ彼ら、彼女らの子供達はどうか。
高度な訓練を受けている。金とはそういうモノだ。
相続税が高いので財産を受け継げない、などということはない。高度な訓練、教育は金があったからこそである。

男女共同の、などという経済が順調ならば多少は進んだであろうことも、この格差が露呈したことでおかしくなってしまい、進まない。
部長・課長は男である。おっさんである。マネジメントはやらなければ身に付かないし、やればそれなりに格好が付くモノである。そのチャンスが女性には与えられない。

世の中で大半の金を稼ぐ場所の現状が、こうなのである。

既得権益を持つおっさんが、敢えて女性の管理職を導入したりしないのである。
会社員という職業がこの国では成り立っているらしいのであるが、そこに女性は居ない。

では、商品としての女性はどうか。

あり得るだろう。
一昔前の企業戦士とそれを支える営業スタッフとしての女性。結婚は男から見れば会社で半径3mだった。兵士に慰安婦である。
その構造も変える暇もなく不況で女性を差別していく。
男が作ってきた既得権益である。女性に渡しはしない。男として振る舞える女性には与えることもあるが。

そうして、必要な教育の機会を奪われた子供が多数発生していく。
不況、経済破綻とはそういうことなのだ。日本の室町時代がそうである。江戸幕府の最後も経済破綻が大きい。
負の連鎖が始まったときに、男尊女卑の社会が取り得る行動は再度の女性の2分化である。
教育機会の無かった女性をその身体を商品としていく所に追い込む、もう一方は、専業主婦という名の専属娼婦である。今でも行われているからどうでも好いのかも知れない。

人が人として生きるにはあまりに難しい世の中かも知れない。