2011年5月11日水曜日

この國の動きが悪い、について Wed Apr 20 11:11:37 2011

多数の人間で物事を動かしていく仕組みを”システム”という。

システム開発への無理解もあるので、この國の”システム”を考えてみると、基本的には民主主義を標榜している天皇制国家である。
もう出だしで訳が分からなくなるのであるが、天皇は国家の象徴であり、権限としては国会の召集など様々な権限を有しているように見えるが、実際は主体的に判断・実行することはない。

民主主義の場合、罪刑法定主義が基本にあり、官僚が仕事をするにしても法律に定められた範囲でしか動けない。
だから、不測の事態が起きたときに官僚は動けない。
為すべき事を為すためには、法律の裏付けが必要なためである。

例えば、日本国憲法を拡大解釈していって、被災者の基本的人権を守る=国民の人権を守る、として緊急対応も出来るが、その後始末が大変になる。
その行為を記録していって正しかったのかダメだったのか判断しなければならないが、この國には公務のトレーサビリティを保証している”システム”がない。

何時始まった、は分かるが、何時終わった、は分からないのがこの國の実情である。
一般に、尻抜け、なんて云われる。
江戸時代には目付制度があり、公務中に仕事をしていたか監視するお役人がいて、不正が出ないように牽制していた。明治からこっち、それが廃止されたままである。

本当にこの國を変えるとすれば、例えばアメリカのように修正憲法何条、みたいな法律で大本を変えていければよいのだが、がんじがらめにしているのが日本国憲法なのである。
9条が問題ではなく、あまりに改正手続きが煩雑で難しいのが問題である。

”システム”開発は有り得ないが、改革・改善はあり得る。

所与は何か、前提条件は何か、そこがプロジェクトの始まりなのであるが、初動において切り分けが出来ない人々がこの國のトップにいたことは誠に不幸であった。

震災対応”システム”は完成出来ないし、進化しない。

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